光のはなし

人が感じていくもの

2017.10.26
人が感じていくもの新聞にはいつも”AI・IOTの文字”が載り、目にする度、私は憂鬱や不安を感じます。それは産業や職能の衰退とかそういう類のモノではなく、照明の仕事を通じて常に感じてきた灯という原始的情緒まで飲み込んでいく資本主義の恐ろしさに似ています。情緒や解析しきれない美意識、また人と人の間に起きる歪や奇跡、そういうものは時代を超えて人が生み出し感じて行くものである筈です。写真はルイスカーン・トレントンバスハウスのトップライトのスケッチ。
五感病院では、隣人の寝息、体臭、お年寄りの尿の匂い、以前記述した照明の明るさ、届くことのない昼光、廊下の物音、奇声、などの五感を刺激する不快な事象が非常に多く、とてもストレスが溜まります。それを一層してくれるのが外光や外の空気なのですが、リハビリ棟に移ってからは残念ながら窓際の病床ではなくなってしまいました。こうした状況に居ると、五感を考えることがデザインの仕事であることを改めて感じる事が出来ます。五感で鋭く捉える感性を持ち(敏感)つつ、心はストレスで揺らぐ事が無い様コントロールしたい(鈍感)という矛盾が悩ましい限りです。

光と熱

2017.10.19
光と熱光源のLED化が進み、調光率の改善、高演色は当たり前、色温度も白熱灯に近しいものになってきました。しかし今回の入院生活で白熱灯のみの生活を送り、白熱の持つ<熱(温度)>にLEDには無い魅力があることが分かってきました。光と熱は起源を共にする物理現象です。LEDはジャンクション温度を下げるために背面への熱伝導効率を高めた器具設計になっています。このため光線放射方向への熱量は白熱や炎に比べ低いものとなっています。業界内ではそれも性能とし評価されますが、心理影響も含めた光の役割としては熱はやはり欠かせないものなのかもしれません。身体に対して明るさと比例して熱を感じさせてくれることが重要な作用であることを感じています。太陽や炎に<熱(温度)>が無かったらどうでしょう?何だか気持ち悪くはないですか?